底辺から少しずつ

精神的に倒れても、やりたいことのために生きていくことの記録

知ることと希望を持つこと

今日は先日書いた教区の青年行事のことについていろいろ書きます。
内容が真面目すぎて自分でもびっくりです。
場所を言ったらどこの教区かバレそうだけど、写真載せちゃいます。

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最寄り駅で咲いてたアジサイ
そう、神奈川県の西側、強羅駅近くの学校の建物を借りて行われました。


子どもの貧困、実は・・・

テーマは、「子どもの貧困」
貧困層の人や外国にルーツを持つ人たちが多く住む町で、活動している方が講師としてお話ししてくれました。
印象に残ったのは、

「子どもの貧困というけれど、働いてない子どもを貧困というのは違う。本当は家庭全体の貧困というのが正しいんだけど、そうすると大人の自己責任と言われてしまう。だから『子どもの貧困』と名前を変えて、政策に反映してもらっている。」

という話でした。

つまりこれ、同情を誘わないと貧困対策はしてもらえないってことですよね。
もしくは、家庭全体の貧困と言ったときに、大人ばかりに注目して、子どもが貧しくつらい思いをしているかもしれないという想像ができない人が多い、ということも言えるかもしれません。

というか私も、子どもの貧困という言葉にとらわれて、家庭全体の問題であることに気付きませんでした。
でも、他人事じゃないんですよね。自分のことのように考えないと、物事の本質って見えないのかもしれません。

それに自己責任と言って放置するのは簡単です。子どもの貧困の本質である家庭全体の貧困から目を背けることも。
でも、明日は自分が放置される側になるかもしれない。それに怯えて暮らすのは、私は嫌です。自己責任って人によって範囲が全然違いますし。
自分のことのように考えることから、支援が始まるのかもしれないと思いました。



なにも実らないこともある

講師の方は、様々な若者世代の居場所作りもされていて、毎日子ども達と、取っ組み合いのような日々を送っているそうです。
その中には、複雑な事情を抱えた子もいることを教えてもらいました。出自のルーツや経済的な問題、人間関係などなど・・・・・・。

そうした子どもたちに対して、いろいろ手を尽くすけど、これだけやっても何にもならない、ということもよくあるみたいで。

話を聞いてて、悔しいなぁと思ったけど、でも「あの時本気で向き合ってくれた大人がいた」といつか思ってくれたら良い、とも話していました。


本気で向き合うって、本当はとても難しいことだと思います。私も本気で人と向き合えてるかな?と思ったとき、自信を持ってYESとは言えません。
だって怖いじゃないですか。本気で向き合って傷ついたら。そして傷つけてしまったら。
あいまいな表現でぼかしてなんとなく平和に仲良くできたら十分、と思いますし、それ自体が悪いこととは思わない。
いつでもどこでも、本気で向き合わなきゃいけないということもないですし。

ただ、本気で向き合うことで、いつかそれが財産になる時もあるんだなって思います。



差別と格差と共生

最後に講師の方がこんなことを言ってました。

「格差が広まるとともに共生が難しい世の中になっている」と。

今は、外国人も多く日本に住んでいるし、日本人同士でも様々な人がいます。
だからこそ、うまく共生しようと取り組んでいる人たちもいます。

けれど、多様性が広がることで、差別や格差が目に見えたり、感じやすくなっているのかな、と思います。
もしかしたら私も無意識に差別的行動や言動をとっていたかもしれません。たとえば、あの人ちょっと嫌だな、という感情が差別につながっていることもあるかもしれません。

ヘイトスピーチってすごい話題になりましたけど、どうしてそこまで憎しみの気持ちを持つのだろう?特に若い人々は、どんな理由で参加しているのだろう?

自分の行動を振り返り、また、自分と違う人に対して、単純に嫌だなと思うのではなく、なぜ?どうして?どうしたらいいのか?と考えるクセをつけたいと思います。


なんというか、格差と差別って全然別の問題じゃないんだなって思いました。
差別されて隅に追いやられる人がいることで、さらに格差が広がることもあるんだなって。根が深い問題だなって感じています。


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箱根の大文字焼 撮影時は晴れてました

何にもならないかもしれないけど

この2日間、話を聞いて、たくさん分かち合って、とても良い経験ができました。
既に知っていたことと、初めて知ったことを合わせることで、新たなものの見方ができるんだなって強く思いました。

とはいえ、私にできることは何もないかもしれないけど、今回のように知識を増やして、考えたり話し合ったりすることはできるかもしれない。
一人では限界があるけど、今回のように多くの人と話し合うことで、良い案が生まれるかもしれない。
そしたらいつかは、良いことが起こるかもしれない。

ただの希望だし、なんの根拠もないけど、それでも学ぶことができた私たちが、希望を失ってはいけないと思います。
希望を持ち、祈り続けることが、キリスト者としての私に、できることだと思います。

それから、働きたいという気持ちが今まで以上に湧いてきました。
働いて、外に出かけていって、誰かの役に立てたら、そんな風に考えています。


本当は、楽しい企画の話とかもしたいんだけど、全部書くとダラダラと長い記事になっちゃいそうなので、この辺で(笑)

それでは。